現時点で5話まで放送された「君が心をくれたから」。
見るたびに号泣してしまうという方も少なくはないでしょう。かくいう私もその一人でして。
また、毎回いいタイミングで宇多田ヒカルさんの「何色でもない花」が流れるんですよね。あの曲調といい、歌声といい、流れ始めた時点で自分の感情がぶわっと溢れ、余計に涙を誘われます。
キャストや主題歌、原作に関しては以前記事にしていますので、関心のある方はそちらも併せてご一読ください。
さて、ヒロインの雨は既に味覚と嗅覚を失い、次に触覚を失うことが明かされています。
今回は、五感がいかに大切なものであるかをドラマ内のエピソードとともに見ていきます。
そもそも、どうして「心」=「五感」なのか?
第1話において、雨は奇跡の対価として「心」を差し出す契約をします。
そこでまず疑問に思うのが、「心」とは「五感」なのか?ということ。
私の感覚としては、心とは五感というより感情であり、身体と影響し合うものであって身体機能そのものではないため、「心」≠「五感」なんですが、それはあくまでも私の感覚。
「心」はどこにあるのかすら分かっていない不確かなものなので(脳や心臓を指す人は多いようですが)、「心」=「五感」という考え方があっても否定すべきものではありませんよね。
最初に失った「味覚」
パティシエを目指していた雨が最初に失ったのは味覚でした。味覚を失うということは、雨にとっては叶えるはずだった夢を失うこと。
味覚とは、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つの基本味から構成されており、毒や腐敗したものを不快な味と感じることによって身を守るものです。
亜鉛不足や糖尿病、貧血などでも味覚に異常の出る場合があるようです。
私自身、かつて舌の半分だけ味覚を感じられなくなった経験がありますが、前後ではなく左右どちらか(忘れた)だったので亜鉛不足ではなく、西洋医学で散々調べても(大きい病院に紹介されてMRIも撮ったけれども)原因が分かりませんでした。東洋医学の医師に診ていただいたところ、菌が悪さをしているとかで、処方された薬を飲んだら一週間もしないうちに治った、という嘘のような本当の話があります。(1ヶ月前後は味覚異常のまま)
人間、生きていくためには飲食は絶対に必要で、よほど食に関心のない人はともかく、自分が美味しいと思えるものを食べたり飲んだりしたいですよね。
それなのに、何を食べても何を飲んでも何の味もしない、という状況は、それだけでも想像を絶します。
【参考】
◆ハウス食品グループ「おいしい・おいしくないと感じるのはなぜ?味覚とはそもそもどんなもの?」
◆名古屋学芸大学管理栄養学部「なぜ人間は味を感じるの?(味覚を感じる意味とは何か?)」
2番目に失った「嗅覚」
「味覚」の次に失うのが「嗅覚」だと判明した瞬間、雨は「視覚」や「聴覚」ではなかったことにホッとしましたが、日下は、嗅覚はただ匂いを感じるだけのものではなくもっと大切な意味がある、と告げました。
匂いによって蘇る思い出があるから、匂いを感じなくなるということは、その記憶を思い出すことが出来なくなるということ。
結構なこじつけのような気はしますが、調べてみると、嗅覚障害とアルツハイマー型認知症には深い関係があるらしいので、あながち間違いではなさそう。
嗅覚障害があると異常な匂いに気付けないため、安全機能の低下、衛生管理の問題、精神的なダメージにもつながるとか。
確かに、風邪や副鼻腔炎等で嗅覚異常になっただけでも、食事の味が分かりづらくなったり、いつもなら癒される香りも分からなくなったりしてストレスが溜まりますよね。
【参考】
◆なかまぁる「嗅覚障害は認知症の前兆?においがわからなくなる影響と対策を紹介」
3番目に失う「触覚」
「味覚」「嗅覚」に続いて失うものが「触覚」だと知らされた雨は、日下に「具体的にはどんな?」と尋ねます。
それを受け、日下が答えたのは、「氷の冷たさ、トゲが刺さった痛さ、今あなたが触れているソファーの質感、そして人の温もりや皮膚の感触。つまり触覚とは、世界と、そして誰かとのつながりを実感するための感覚といっても過言ではない。」でした。
触覚とは、皮膚が物に触れた時に生じる感覚です。脳卒中等で半身麻痺等になった場合、糖尿病性神経障害を起こした場合など、完全喪失かどうかは個人差がありますが、触覚に異常が現れることもあります。
私自身、頚椎症性脊髄症によって両手の痺れが強く、触覚がかなり鈍くなった時期があります。トイレに行くたび皮膚と下着の境目が分からず、知らず知らずのうちに自分の体に引っ掻き傷を付けたり、食事のときにお椀を持っている感覚がなく、お椀を落としたり。
鈍くなっただけでも日常生活を送れないレベルにはなるので、完全に失うとしたら、当然歩けないし、座位保持も厳しいでしょうね…。完全介護が必要になるのは明白です。
【参考】
◆ヘルシスト264号掲載「わずかな「違い」をも感知する 触覚の不思議な奥深さ」
◆ダ・ヴィンチ「もし“触り心地”がなくなったらどうなる?触覚が思考に与える影響とは?知られざる触覚の世界」
どちらを最後に失う?「視覚」と「聴覚」
「視覚」とは光の刺激を受けて生じる感覚で、明暗・光の方向や物の色・動き・距離などを認知します。知覚できる情報の8〜9割を担っているそうなので、私たちは特段事情のない限り、そのほとんどを「視覚」に頼っていることになります。
「聴覚」とは音を感じる感覚であり、通常であれば五感の中で一番最後まで残る感覚と言われています。心臓が止まったあとも耳は聞こえているんだ、という説もありますよね。
どちらも大切な感覚で、個人的には「一億円あげるから、その感覚ちょうだい」と言われたとしても速攻でお断りしますが、雨は「触覚」を失った時点で間違いなく完全介護になるし、もう残りはどっちもどっちな気がします。
果たして雨は太陽の花火を見ることが出来るんでしょうか。
【参考】
◆pen「視覚情報をいかすには何が必要か? 脳科学者、茂木健一郎が語る、視覚と脳の不思議な関係とは。」
◆大阪大学大学院医学系研究科・医学部「最後まで残る感覚、聴覚について」
◆小さな灯台プロジェクト「【情報BOX】尊厳死を希望する人の代託者になるあなたへ−親の“老い”と向き合う時に役立つ《老い知識》のすすめ No6 老化による聴覚・聴力の変化とは? その3 聴力と看取り」
まとめ
五感を一つ一つ見てきましたが、いかがだったでしょうか。失っても構わないもの、逆にこれだけは失いたくないものはありましたか?
一つ失うだけでも想像を絶する大変さなのに、五つ全部を失うのは、誰ともコミュニケーションが取れないまま、生きる楽しみの全てを奪われることになります。その状態になって気力が失われても、誰かに面倒を見てもらいさえすれば人間は生きていくことが出来るんでしょうか。
そう考えたとき、今の私たちはどれほど幸せであるか。改めて噛み締めたいものです。
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